こんにちは。
2023/08/24(木)、代官山蔦屋書店で行われた対談イベントに参加する機会を得ました。対談者は、批評家・詩人の若松英輔さんと、Eテレ「100分de名著」プロデューサー秋満吉彦さんのお二人です。今回は、イベントについての「メモ」をお伝えしたいと思います。対談は、主として若松さんの最新刊『光であることば』を巡って展開されました。
以下、順不同で書き連ねていきます。
- 新しい次元の若松さん。「光『としての』ことば」ではなくて、それ自体が「光『である』ことば」である点が重要。
- 「光=光線」ではない。光とは、必ずしも明るくはない。
- すべての灯りを消した時に、真っ暗闇の中で岸辺の灯りが見えてくる。
- じっと自分と向き合う。
- 本当の光は、まばゆくない。
- 目を閉じて「名画」と向き合うことをしてみる。
- 今回の対談では、①どうしたら光が見いだせるのか、危機や困難にあってこそ見いだせるのか、②対になっている言葉の比較を通して見えてきたものに注目、③終わらない「場」としての力について、うかがってまいりたい。
- 「場」と「空間」とは違う。
- 集う人たちが、それぞれの物語を持ってこれるところは「場」。
- スキルの高さが「よさ」ではない。
- 「ビジョン」と「目標」は違う
- 「場」がないと生まれ得ず、その人でないといけないものが「ビジョン」。目標は、交換や入れ替えが可能。
- 今の日本には「場」がない。特に「場」を創出しようとする政治家がいない。
- 本を読むとは、その書物との間に「場」を創ること。
- 本との間に「場」ができたら、わからなくてもその書物を手放してはいけない。場ができるとは、「終わらない問題」と出会うこと。
- ひとたびページを閉じる、早く読みたいという気持ちを脇に置くこともよい。
- 友人のことを、「早く」知りたいとする人はいない。
- 本に読まれていく。古典に人生を見つめ直させる。たくさんに出会う必要はない。
- 「人間」と「人材」は違う。人間とは、どこまでも「あわい」的存在。
- 「死」について考えることと、「死者」について考えること。
- 人間とは、日々、死につつある存在。明日何をしようとは考えるが、今日何をしようとか、「いま」何をするかを考えることは少ない。
- 本当にやりたいことと、やらなければならないこととの距離が縮まった。やりたいことの、相対的な地位が下がった。
- 「願望」の主語は私(I)だが、「希望」の主語は、常に私を超えたもの。
- 「私が、私が」ということの貧しさ。「私」を手放すことが必要なことがある。
- Bookが主語となることがある。本が語ることを聞く。
- 「勉強」と「学ぶ」ことの違い。自分自身の問いに出会うことで、その人の生が始まる。
- 「人生」は唯一のものであるが、「生活」は量的で比較が可能なもの。生活は豊かにすることができるが、人生は、元々豊かである。
- 生活と人生とを天秤にかけるのは、もったいない。
- 「励まし」と「慰め」が違うこと。必要なものは「慰め」。人を温め、共鳴するものは「慰め」。
- いたずらな共感は危うい。
- 自分を慰める言葉を宿しておく。
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「判読」できるメモからの起こしは以上となります。「解釈」を加えないまま、公開といたします。お読みいただき、ありがとうございました。それではまた!