こころの調弦

ぼくが考え、書いてきたこと

【ノート】聞く技術 聞いてもらう技術(東畑開人)

 

 

文学フリマ東京39のための原稿が行き詰まっているので、参照文献を一冊追加しました。一度は読了している『聞く技術 聞いてもらう技術』です。以下に、まず目次を掲げて「ノート」といたします。

目次

まえがき

聞く技術 小手先編

第1章 なぜ聞けなくなるのか

第2章 孤立から孤独へ

聞いてもらう技術 小手先編

第3章 聞くことのちから、心配のちから

第4章 誰が聞くのか

あとがき――聞く技術 聞いてもらう技術 本質編

ノート

第1章

▼「聞く」ためには「聞いてもら」っていることが必要で、二者間での関係性がよろしくない時には、相手の話を「聞く」余裕がなくなっている。

▼「聞く」の循環 → 他の「誰か」に聞いてもらう?

第2章

▼「孤独には安心感が、孤立には不安感がある」。

▼「孤立しているときには話は聞けないけど、孤独になれるならば話を聞くちからがもどってくる」

▼「現実が不安定で、厳しい状況のとき、人は孤立に追い込まれやすくなる」

▼「自分と向き合うためには、他者のことをとりあえず忘れていられるような自分だけの個室が不可欠です」

▼「孤立している人の話を聞くとは、過去に傷つきを負った痛ましい物語を聞くということなのです」

▼「安心って、結局のところ、予想外のことが起きないという感覚のことです。日々の生活で予想と同じことが起きる。変なことをだれもしてこない」

▼「そうやって安心感を得て初めて、誰かとつながることが可能になります(略)他者とつながるためには勇気が必要ですが、その勇気は安心からしか生まれてきません」

▼「つながりって、能動的に築くものではなく、気づいたときには自分を取り巻いている受動的なものだと思うのです」

聞いてもらう技術 小手先編

▼「だけど、いま僕らが必要としているのは、強みではなく、弱みを、カッコいいところではなく、情けないところをわかってもらうための技術です(略)必要なのは賢い頭ではなく、戸惑う心です」

▼「ケアも人と人の間をグルグル回っているのがいい」

▼「僕らは心のケアをするのは苦手でも、体のケアは比較的得意なんですね。心配されるほうとしても、体のことだったら、安心してケアを受けやすい」

▼「そして何より失敗をやらかすこと。これは最重要の「聞いてもらう技術」です」

▼「どう聞けばいいのか? ただ「なにかあった?」と尋ねるだけでいい」

第3章

▼「メンタルヘルスケアというと専門家が特別なことをするイメージがあるかもしれない。だけど本当の主役は素人だ(略)多くの心の危機が、専門家の力なんか借りずに、なんとかやり過ごされていくものなのだ」

▼「心のサポーターとは、専門知を浅く学ぶことで、とりあえずの応急処置や専門家につなぐことを身につけた素人なのである。専門知が世間知の限界を補う」

▼「だから、心理士もまた、プライベートでは専門家の帽子を脱ぎ、自分の人生をきちんと生きるのが大切だ。そうやって世間と人生の苦みを知ることが、専門知を解毒するのに役立つ」

▼「世間知と専門知がせめぎあい、混乱が生じる。だから、素人は毛を生やし、専門家は帽子を脱ぐ。そうやって対話と調整を続ける。それがこの複雑で余裕のない社会を小規模改善していくために必要なことなのだと思う」

▼「本当に気持ちがこもった言葉は、こちらの心を動揺させるものです」

▼「わからなければ、尋ねてみる。相手の話を聞いてみる。結局のところ、わからないときでも、相手との関係性に踏みとどまるということです」

▼「僕らはそれぞれに特殊な歴史を生き延びてきているわけですが、でもそれが特殊であったと気づくのってすごく難しい。他の人生を知らないわけですから。(略)自分が「普通」だと思っていたことが、案外「普通じゃない」のだと気づいてくるわけです」

▼「必要なのは同じ問題に直面して、同じ世間が見えていて、同じ課題に困っている。そういう自助グループ的なつながりを、僕らは必要としているのだと思います。(略)なにかをシェアすることでつながる仲間には得難いちからがある」

▼「スクールカウンセラーの仕事の本質は、クラスや家庭で行われていたケアを再起動させることにあります」

▼「理解には愛情を引き起こすちからがあります。(略)やさしくされることでしか、人は変われないし、回復できません」

▼「診断名は、個人の問題にされていたものを、病気の問題に変えてくれます。物語が変わるんです。(略)すると、「がんばれ」という言葉が、「お大事に」に変わります」

▼「(心理士は ※引用者による)見失われやすい「ふつう」を回復して、羅針盤を取り戻すお手伝いをするわけです」

▼「みんなが聞こうとしている。そして本人も聞いてもらうことを恐れなくなっている。そういうときに、心は回復していく」

第4章

▼「高みでも、中間でもなく、横に立つ第三者。そういう支えがないと、対話はできない。対立から変革が生み出されるのは、善き第三者がいるときなのだ」

▼「結局のところ、対話が成立するのは、お互いの複雑さを複雑なままに理解しあえるときだけです」

▼「自分にも複雑な事情があったこと、自分なりに切実な思いをしてきたこと、そういう気持ちをわかってもらい、苦しい気持ちを預かってもらえると、僕らの心にはスペースができます。そこに複雑な自分の置き場所ができ、他者の複雑さを置いておくことができるようになる」

▼三種類ある「第三者」=①司法的第三者、②仲裁的第三者、③友人的第三者。

▼「そういう意味で、この本の「聞く」論は、実は友人論でもあるんですね。家族でも、仲間でもなく、友人」

▼「当事者同士で対立している問題について話し合いをするのがどれだけ難しいか」

▼「そういうときに役に立つのは、しばし距離をとることであり、離れた場所から配慮を重ねる時間です。対話から問題解決が始まるのではなく、対話をできる状態になること自体が最終目標です。そのために第三者の聞くちからが必要です」

▼「あなたから始めてもらえないでしょうか。第三者として、あなたが誰かの話を聞いてみてほしい。それが「聞く」がグルグルと循環するための最初の一歩となると思うのです」

▼「(略)誰かに話を聞いてもらえると助かります。それは少なくとも、つながりをもたらしてくれます。僕らを孤立から引っ張り出してくれる。すると、僕らに考えるちからが戻ってきます」

▼「誰かが話を聞いてくれる。それがちぢこまってしまっていた心をゆるませ、心を再起動するためのスペースを作ってくれる」

あとがき

▼「むしろ、僕たちが「聞くことのちから」を忘れてしまいやすいことのほうが問題です。(略)苦境に置かれ、孤独になり、心が絶望に覆われたときに、「聞くことのちから」は忘却される。いや、結局のところ、その力を見失うことを「孤独」と呼ぶのだと思います」

▼「「聞いてもらう」に宿る神秘の正体。それは責任の分担だと思います」

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まとまった「感想」めいたものが出る場合、追記なり別立てで書きたいと思います。読んでくださり、ありがとうございました。